百人組手の一人相撲 vol.4 「藻類産業に足りていないもの」

MATSURI関連企画「百人組手」のチャレンジを続ける中で感じたことを綴る「百人組手の一人相撲」。連載の第4回目は、藻類産業に足りていないもの。



 前回は「地図を眺めること」についてお話ししました。今回は私が藻類の産業利用における課題について書きたいと思います。もちろん、課題は至る所に山積しているのですが(だからこそ、MATSURIという活動の意義があります)、その中でも藻類の文化的アプローチにとって最も根本的な問題、すなわち「藻類とは何者なのか」というポイントについてです。

 

藻類の系統樹

 

 そもそも「藻類」という言葉の生物学的意味もそれほど明確ではありません。それは光合成する生き物のうち、いわゆる陸上植物(コケ、シダ、裸子植物、被子植物など)を除いた生物たちの総称です。つまり、系統的なことを言えば必ずしも近縁な生物のまとまりではなく、極めて多様な特性を持った種からなる、かなり強引な単語です。私たちがイメージするような緑藻(アオサなど)や紅藻(ノリなど)、褐藻(ワカメやコンブ)の仲間は食卓にのぼる種も多く、比較的イメージしやすいかと思います。ただし、多くの場合比較的大型の藻類をイメージされる方が多く、MATSURIがメインとして取り組んでいるような小さな藻類(微細藻類)は理科の教科書でわずかに触れる程度の接点しか持って来なかった方も多いのではないかと思います。

 微細藻類の世界は、私たちの肉眼で捉えられないもう一つの植物の世界です。そして目で見える世界は、その表層にすぎないのだと感じることでしょう(実際のところ陸上植物とは乾燥を克服し地球の薄皮にへばりつく生き方を選んだ生命です)。微小の世界に蠢いている藻類には、もちろん緑藻や紅藻の仲間もいます。生物学に少し関心のある方なら珪藻を知っているかもしれません。そのほかにはアルベオラータリザリアエクスカバータといった呪文めいたグループ名が並びます。ちなみにエクスカバータにはミドリムシがいますし、緑藻や紅藻は(実は地上植物も)アーケプラスチダのサブグループです。ですが、人間にとってイメージしやすいような種類がそれぞれのグループの代表という訳でもありません。微細藻類は生態系のダークマター(暗黒物質)のような存在だと感じます。

藻類の系統樹

 

 私の感じる課題とは、つまりダークマターに関していかにコミュニケーションできるのか、ということです。私たちの社会は、いまだ微細藻類というグループに対して「有望な産業の道具」以上のイメージを持てていません。もちろん、そうした側面があること自体は問題にならないどころか、インセンティブとしてとても重要です。しかし、身近な動植物に対して私たちの社会が様々な考えを抱きうるように、人間の文化(culture)に根付いた成熟した関係を涵養(Cultivate)し、複雑な思考を巡らせられるようにならねば、微細藻類との関係は一面的で薄っぺらなものになってしまうでしょう。

 食卓に並ぶ穀物や野菜、牛や鶏や羊やペットの犬も、はじめからその姿で人間の生活に組み入れられていた訳ではありません。それは多くの努力と長い時間をかけて織り成されてきたテキスタイルなのです。そして私たちはわずかな時間の中でテキスタイル作りを成し遂げようと努力しています。この驚くほど小さく、多様で、謎に満ちた存在について、合理的で豊かな関係を取り結べるようにすることこそ、「藻類産業構築」の終わりなきオープンゴールなのではと思います。

 


written by:Aoi Nakamura 

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